さっきーの日常

地元静岡を離れ縁もゆかりもない宮崎に住み始めた人のブログ

僕が生まれてから24年間過ごした地元静岡の地銀を辞めて、縁もゆかりもない宮崎のITベンチャー企業に行く理由

 
宮崎県民になりました。
まさか自分の人生で宮崎に住むことになるとは1年前には夢にも思っていませんでした(笑)
皆様から「なぜわざわざ地元の銀行を辞めて宮崎に?」と言った質問を多く頂きますので(当然の反応ですね(笑))、本記事を通じて「なぜ僕が生まれてから24年間過ごした地元静岡の地銀を辞めて、縁もゆかりもない宮崎のITベンチャー企業へ行くことに決めたのか。」を、僕の大学時代(就職活動)から振り返りつつ、赤裸々にお伝えできればと思います。
 
 
 
 

1.周りの価値観に流された就職活動

 

大学時代はサークル活動や、ゼミ活動を通じてフリーペーパーの製作、イベントの企画、ビジネスプランコンテストへの参加、中小企業のコンサルティング等、「面白そう!」と思った事には積極的に飛び込み、様々な事にチャレンジしていました。そんな大学生活の中で「0から1を生み出すこと」の楽しさを知り、「0から1を生み出せるかっこいい大人になりたい」と思い就職活動を行いました。
 
 
 
とは言っても自分が何をやりたいのか明確にはなっていなかったため、「面白そうだな。」と思った企業を受ける、というような就職活動を行っていました。地元静岡、東京、大手、ベンチャー様々な企業を受け、最終的に2社の企業から内定を頂く事ができました。1社は東京のITベンチャー企業。もう1社は就職先に選んだ地元の地銀です。漠然と「0から1を生み出せるようになりたい。」と思っていましたが、就職活動をしていく中で、自分の大学時代の活動は”お金(売上、利益)”に対する認識が甘く(というか考えることができておらず)、0から1を生み出し、持続可能なものにしていくためには”お金”に関することを身につける必要があると感じ、最終的に地元の地銀を選びました。
 
 
 
これだけ見ると一見ポジティブな選択のようにも見えますが、就職活動時代を振り返ってみて、もう1つ正直な理由を挙げるとすれば、「周りの価値観に流された」のかなと思います。
 
 
 
 
2.”安定”という魔法の言葉
 
就職活動時代、周りの人たちからは「大手の方が安定していて良い」「将来の事を考えると夢よりも安定した生活を」といったことをあちらこちらで言われ、何となく「そうか、”安定”していた方がいいのか。」と思うようになっている自分がいました。
 
 
 
自分自身の価値観がまだはっきりと形成されていなかったため、大多数の周りの人の言う言葉が”正しい”ように思え、気がついたら自分も大多数の一員になっていました。そこには、”安定”という魔法の言葉の力に屈する弱い自分がいました。そんなこんなで、もやもやを抱きつつも、働き始めれば分かることもあるだろうと思い、地元の地銀で働くことに決めました。
 
 
 
 
3.働き始めて感じた違和感
 
2年間働いてきた経験は、社会人マナー、仕事への取り組み方、営業力、忍耐力、様々な面で僕を成長させてくれました。支店の人やお客様にも恵まれ、2年目からは徐々に成果も出るようになり、自分の成長を実感でき、充実した日々を送っていました。
しかし、そんな中である違和感がどんどん自分の中で大きくなっていきました。それは、「就職活動時代に何度も聞いた”安定”なんてどこにもないのではないか。」ということです。
 
 
 
IT技術の発達した現代社会において、変化のスピードはどんどん早くなっており、どんな企業でも5年後、10年後はどうなっているか分かりません。また、大きな組織であればあるほど、自分自身の努力ではどうにもできないことがたくさんあります。会社の方向性、一緒に働く人、住む場所。全部、自分の知らないところで勝手に決まってしまいます。どんな場所でも通用する力を自分自身で身につける事。自分の努力でどうにかできる環境を整える事。”安定”がない今、今後の社会では、これらを手に入れることがより一層重要になってくるのではないかと思います。
 
 
 
違和感が大きくなっていた頃、偶然「仲間になりたいな。」と思う企業に出会いました。「1度しかない人生、やらずに後悔するのだけは嫌だ。」と思い、転職を決意。就職活動の時と同様、周りの人たちからは「大手の方が安定していていい」「将来の事を考えると夢よりも安定した生活を」といった言葉を頂きましたが、今度は周りに流される事なく、自分の人生に責任を負う覚悟を決め、宮崎に行くことに決めました。
 
 
 
 
4.縁もゆかりもない宮崎に行く理由
 
結論から言えば宮崎に行きたかったわけではなく、「仲間になりたい!」と思った企業がたまたま宮崎にあっただけです。そこが高知であれば高知に、宮城であれば宮城に行っていたと思います。
 
 
 
4月からは、株式会社アラタナというネットショップの構築、コンサルを主な業務とするIT企業の仲間になることになりました。僕は、将来的には「地元静岡で0から1を生み出すようなことがしたい」と思っています(漠然としていますが)。宮崎という地方都市で「宮崎に1,000人の雇用をつくる」という経営理念を掲げ、挑戦をしているところに惹かれ、運良く仲間に入れて頂くことができ、アラタナに入社することを決めました。周りの人からは「もう会えない人」といった扱いをされていますが、将来的には静岡に戻ってくるつもりでいますので(笑)
 
 
 
 
5.おわりに
 
僕が宮崎に行く理由を皆様にご報告すると共に、自分自身と向き合うきっかけとなればと思い書きました。
 
 
価値観は人それぞれですし、どこかに正解が転がっているわけでもありません。また、環境が変わっても自分自身が急に変わるわけでもありません。自分自身としっかりと向き合い、自分にとって価値のあるものは何なのか理解し、自分の人生に自分で責任を負う覚悟を決め、1日1日精一杯生きていくことが大事だと思います。
 
 
 
今回の選択をする際、「本当にいいのか。」と何度も何度も考えました。「自分自身の成長を考えれば東京の方が良いのではないか。」「将来静岡で何かをやりたいのであれば、静岡にいた方がいいのではないか。」と。
しかし、プロサッカー選手、遠藤保仁選手は言います。
 
 
どこにいても、何歳でも、成長できる。(引用元
 
 
この言葉を胸に、自分の選択を信じて、宮崎で精一杯生きていこうと思います。